釣鐘の身の上話
雀 「おい釣鐘、いよいよ引越しだって?」
鐘 「うん、三回目の引越しだ。」
雀 「へえ、そんなに。」
鐘 「1682年に、京都大谷本廟から貰われて来たようだ。銘文に『大谷本
願寺坊常住之法器也、大和国十市郡田原本邑 天和二年壬亥三月六日』
と彫り込まれているので間違いなかろう。2度目は、昭和十九年(1945) 他の銅や鉄の仏具と一緒に瀬戸内海の直島へ。」
雀 「1回目は、大谷本廟の拡張整備で余ってきた釣鐘を、創建間なしの
田原本御坊へ、宗祖親鸞聖人のご絵像と共に下付したのだろう?」
鐘 「うん、そうだよ。」
雀 「2回目の直島へはなぜ?」
鐘 「思い出してもぞっとすることだが、太平洋戦争の末期、各寺の釣鐘
や仏具を大砲や鉄砲玉にするために、供出させたんだ。」
雀 「お釈迦様が、兵戈無用(武器はいらない)とおっしゃったのに、
まるで逆だね。」
鐘 「人間って悲しいね。俺が鉄砲玉になりかけたのは、それ以前にもう
1回あるんだよ。幕末の黒船来航の時だった。幕府の寺社奉行から供出
のお触れが来ていたんだ。幸い実行はされなかったがね。」
雀 「2回もの命拾いか。」
鐘 「56年前直島では俺も今度ばかりはもうだめだと覚悟を決めたんだ。
トラックから落されて変形するし、6つも穴を開けられて。ところが、
終戦となり、偶然、宮の森の正法寺のご住職に発見され、彫られた
銘文から浄照寺の鐘と確認できて、1580円で買戻して頂いたんだ。
運送費等諸経費で小室の小林孫橘氏に随分お世話になったようだ。
お蔭さまだね。
法座1時間前に、お聴聞下さいよと精一杯呼びかけるつもりだよ。」