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耳を澄ませば  2005/12/22

「耳を澄ます」と聞くと、街の喧騒から離れて、晴れた日に山の中で目をつむり、風の音や虫の声を聞くようなイメージがありますが・・・。
では私たちは普段の生活で「耳を澄ます」ことができるのでしょうか?
耳を澄ますといっても、前述の街の喧騒云々といったことではなく、自分の心のざわめきを聞くということです。

私たちは、自分の心という実はゆがんだ色眼鏡を通してしか物事を見聞きすることができません。これは誰もが経験している事ですが、腹が立った時・嬉しい時・悲しい時では同じことでも物の見方が変わってきます。
さらに困った事に私たちは、心がざわついている時ほど、その色眼鏡をかけているという事に気付くことができなくなります。

自分の心に振り回されながらも「耳を澄ます」には、変わらない教え
(仏法)に触れる事がなければ不可能です。
仏法は、刻々と様変わりする自分の姿をありのままに見せてくださいます。仏法に触れる事で、その色眼鏡をかけてしか生活できない自らの姿に気付かされ、耳を澄ませながら生活してゆけるのではないでしょうか。
                               釋 廣樹