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包まれて  2006/9/30

暑い夏が過ぎ暦上ではすっかり秋となりました。
ここ数日、日中はまだ暑いものの朝晩は寒さすら覚えるほどです。
今朝も家の玄関を開けたとき、ひやっと冷たい風が
「もう秋ですよ。」と教えてくれているようでした。
それは頭や暦で、考えているよりも肌で、全身で感じることができた
『秋』という季節でした。

風は私の目には見えません。
しかし私の頬をなでてくれた時、確かにそこにある風を感じました。
 
阿弥陀様のおはたらきもこの事に似ているように思うのです。
言葉になって耳で聞かせて頂く。
文字「経」となって触れさせて頂くことでそのおはたらきを感じられることができるのではないでしょうか。

私が以前考えていたことの一つに仏教を学んでやろう、
覚えてやろうという思いがありました。
頭だけは大きくなっていきます。
たまには「へぇ~」と思うことがあっても心には全然響いてきません。

そんな私が阿弥陀様の救ってやろうという願いではなく、
救わずにはおれないんだというお心に会わせて頂く。
慈しみ悲しんでおられるお心を聞かせて頂く。
そうした中で仏教を学んでやろう、覚えてやろうと思っていた自分が
いつの間にか仏教に教えられていたことに気付かされたのです。

お聴聞。自分から聴いていたつもりが聞かしめられていた。
願うより前、思うより前に願われていたおはたらき。
南無阿弥陀仏というお言葉は頭で考えて発するのではなく
私を包み込んでくださるおはたらきでありました。
いつ、どこまでも先手打って喚び続けられた親の名乗りでありました。

最後に先日お聞かせ頂いたお言葉を紹介したいと思います。

母 一子のために泣きたもう 
如来 すでに母のために泣きたもう

                              合 掌
                                 釋 光乗