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お経を聞くと眠たくなるのは 2006/2/10

お経文(経典)は、漢文で表記されている為、漢籍の心得が無ければ読むことができても、意味までは解りづらいものです。
そのため、お経を鎮魂歌や呪文のように、死者へのたむけの言葉の如く思っている方もあるようです。そのせいなのかご法事の読経中、安らかないびきが良く聞こえてまいります。
僧侶の不徳のいたすところと反省すべき点でもありますが、今から千年以上前、経典が大陸から日本へ伝播する中、経典に触れる方々は、漢籍の心得がある出家者など一部の人であったことも深く関係しています。また、その経典の解釈文が文語調であることも現代人に門戸を閉ざす要因となっているようです。

本来、仏教の教えは生きている者に向けられたものであり、ましてや浄土真宗は、出家者に限定された宗教ではありません。
それは、阿弥陀さまのお救いが「生きとし生きるものすべて」へ向けられた願いであり、限られた人のみを救いの対象とする教えではないからです。
しかしそんな大切な事が、説かれていてもそのお救いの心を頂戴することが無ければ、まったく意味がありません。
まるで幼い子どもが純金で出来た獅子の像をプレゼントされた時、その本当の価値を知らずに砂場で砂をかけながら無邪気に遊んでいるようなものです。
浄土真宗の法要に、ご法話の時間が必ず設けられているのは、経典に説き示された、阿弥陀さまのお心を「今を生きる私」が聴聞させていただく大切な意味があるのです。                                                           釋 智見