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憧れ (あこがれ)  2006/5/17

私には、尊敬する先生や先輩、またはアーティスト等々憧れている人がたくさんいます。そして、私はそういった憧れを抱いたとき、その人のようになりたい、少しでも近づきたい、と思います。そこで話し方や歌い方、または仕草を真似してみようと思います。みなさんにもこういった経験はないでしょうか。

私も一人の先生との出会いによって、毎日のお勤めの中でいつも意識するようになったことがあります。それは、合掌礼拝の姿勢です。それまでの私は、合掌礼拝の姿勢というと、教科書通り、作法通りの動きしか意識していなかったように思います。手は胸前、角度は45度、ゆっくりと起き上がってくる等々・・・。

しかし、その先生の合掌礼拝の動作は、私にとっては大変衝撃的であったのです。動作そのものは私とそれほどは変わりません。しかし、その動作に移る姿勢が私とはまるで違いました。先生のその姿勢からは、手を合わさずにはおれない、頭を下げずにはおれないという深くあたたかい気持ちが伝わってきたのです。同時に、私は「あなたは人生で何を尊いと感じていますか。あなたは何を人生の宝と思っていますか。」と問いかけられているように感じたのです。
このような問いは私が今まで生きてきた中で初めての問いであったように思います。そしてそれは、今までの自分の姿を映し、これからの自分を定めて下さった姿でありました。

今、こうして考えてみると「ああなりたい」「こうなりたい」ということは、一人一人全く違うものなのかもしれません。
しかし、その感情を抱くことになった原因は、目で見られるもの、耳で聞けるものだけに促されたわけではありません。
私は、その先生の姿を通して「真実(まこと)」「ほんもの」ということを思います。それは、私が作り出していく世界ではなく、私が感じられていく世界。願うより前、欲するより前に既に導かれてあったのだと味わう時、
私の手が自然と合わさります。                      合 掌
                                釋 光乗