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ふるさと   2006/7/11

早いもので、七月も中旬にさしかかりました。学校はもうすぐ夏休み。そして地方によっては旧盆真っ盛りの時節となりました。お盆の時期になるとよくニュースで流される光景が、都会からふるさとへの帰省される人の姿です。沢山の荷物を両手に抱え満員の電車に乗り込む。マイクを向けられた帰省者が「疲れた」と言いながらも、笑顔で受け答えされている。都会の喧騒を離れふるさとに帰り、どことなく安心されているようにも見えます。

ところで「ふるさと」というと皆さんはどのような事をお考えになるでしょうか。私はこの事を考えると、決まって子どもの頃の自分の姿が思い出されます。
西の山に沈む夕日の中を、沢山の虫を捕まえようと走り回る。そして母親の存在。日が沈み家に帰ると母親が笑顔で出迎えてくれる。母親の甘い香り、味噌汁の味。「ふるさと」という言葉の裏には、決して風景だけではなく、匂い、味、音、人など様々なものが含まれているように思えます。そしてその全てが温かく、私を包んでくださる居心地のよいものなのではないでしょうか。また、決して近くにいなくても、「ふるさと」という言葉を聞くだけで、こころが落ち着くようにも思えます。

ラッシュに揉まれながらも、「ふるさと」の温かさに触れどことなくホッとされている方々を見た時、お浄土の世界を想わされました。お浄土は遠い世界ではありません。だからといってすぐに向う事の出来る世界でもありません。距離ではなく、「ふるさと」という言葉を聞くだけでこころが温かくなるように、私のことをいつでも「大丈夫だよ。安心しなさい。」と話しかけて下さる世界です。私が悲しみ苦しい時もこころの中でそっと私の手をとり、ともに歩んでくださる事で、その悲しみや苦しみに大きな意味をあたえて下さいます。「私と共に歩んでくださる世界。」このことを考えた時、安心して日々の生活をおくらせていただくことが出来るのではないでしょうか。
                              釋廣樹