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スイカ割り  2006/8/30

日差しも弱まり夏の終わりが感じられる季節となりました。
今夏、お寺でも色々な行事を開催しましたが、
子どもたちがお寺で寝食を共にするサマースクールは
とりわけ想い出深いものとなりました。

初めて親元を離れ、外泊を経験する小さい子どもさんを
見送りに来られた親御さんと子どもの不安そうなお顔は、
見ているこちらまで不安にかられました。

レクリエーション・ウォークラリー・銭湯・肝試し・お朝事・
そうめん流し・お抹茶のお手前・染物など、たくさんのプログラムを
通じ一体感が生まれてきます。
さらに高学年のお兄さん・お姉さんが自然に幼児のお世話をするように
なり、時には注意をしている姿が開始時の不安を取り除いてくれます。

プログラム中の「スイカ割り」も参加者全員で行いました。
一人ずつくじを引き、叩く順番と道具を決めます。
目隠しをして、グルグルと5回まわされると右も左も全く判らなくなります。
頼りになるのは、周りから掛けられる声だけの世界。

「みぎー。 ひだりー。」

本堂の向拝に座ったお友達から大きな掛け声が飛び交います。
叩く子も掛けられる様々な声に、ふらふらと右を向いたり
左を向いたりと進む方向が定まりません。
その時、一人の子が階段から駆け下り、スイカの向こう側に回りこむと
「こっちへおいで」「こっちへおいで」とやさしく声を掛け始めました。
その声を聞いた途端、叩く子の足取りは、先ほどまでの不安だらけのものとは違い、しっかりゆったりしたものに変わりました。
「スイカ割り」のルールとは離れた行動とはいえ、
遠くから見ていられない気持ちが、その子を動かし、駆け寄り、
やさしく声をかけずにいられなかったのでしょう。

その光景は、阿弥陀さまが私をお救いくださっている姿と重なりました。
遠くからこちらへ来い。といってもその力すらない私。
見えているようで煩悩に遮られた眼(まなこ)しか持ち合わせていない私。
まさに目隠しをして目的地さえ見失い、人生を右往左往しているのが私の姿だといえます。
そのことをお見通しの上で、私に寄り添い、声をかけ、共に歩んでくださる仏さまのあたたかいお心を味わわせて頂くこととなりました。

無事サマースクールが終了し、それぞれの親御さんがお迎えに来られたときの子どもたちと親御さんの笑顔が忘れられません。その時ある親御さんが「昨晩は良く眠れませんでした」と仰っておられました。
「常に願いのかけられた生命」に気付かされるご縁を
この夏に頂戴いたしました。
                               釋智見