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菊 聴く 聞く  2006/9/9

9月9日は、菊の節句。
桃や端午の節句の時ほど、華やかな行事は催されないものの、
心地良い秋の到来の響きがそこに感じられます。
節句の由来については色々な伝承がなされていますが、季節を感じづらくなった現代の生活に節目を頂戴するということからは、自らの軌道修正時期として大切にするべき行事であるように思います。

さて、ものを作り育てることは大変なことですが、
とりわけ菊作りは時間と手間がかかります。
そのせいかご家庭で菊作りを楽しまれる方が年々減ってまいりました。
床つくり・差し芽・数回の植え替え、土作りや山に入ってのミズゴケの採集。堆肥作りに、消毒。水遣りも葉に水がかからない様に、そおっと時間をかけながら一鉢ずつ丁寧に行わなければなりません。
最も大変なのは、台風襲来時。
いよいよ進路がこちらに向かっているとわかった時は、すべての鉢を家の中に避難させます。しかもその時期は植え替え最終段階となっていることが多く、鉢が一抱えほどある重たいものなのです。風雨にさらされながら、伸びた茎が折れないよう慎重に移動します。
「人間より菊のほうが大事か?」とぼやきながら手伝いをした
子どもの頃がなつかしく思い出されます。
しかし、秋深まり見事な花を咲かせた菊を愛でると、今までの苦労はすっかり忘れ、心癒される時を頂戴することになるのです。

加賀の千代女が
    いくたびか お手間かかりし 菊の花

という句を詠まれましたが、本当に頷かされるところがあります。
さらに、単に菊つくりの手間を詠んだものではない様に思われます。
そこには、仏さまの願いと私の姿が織り込まれていると味わえるのです。
仏さまは、「あなたを幸せにしたい」との願いを私に常に届けてくださって下さっています。
にもかかわらず、その願いを聞こうともしない私です。そればかりか、
そこから逃げることばかりを考えているのが私の常なる姿です。
しかし不思議なことに、その私が今既にそのお心に出遇わせていただいております。
どれほど広大なお心が私に向けられていたことでしょうか。
私はそのお心を、お聴聞させていただく中に頂戴いたしました。
ただし、聴いたから救われたのでなく、救われる法が既に私を抱き取って下さっている事をお聞かせいただいたということなのです。
せっかく救いの法が仕上がっていても、それをお聞かせいただき、お貰いする事が無ければ安心を頂くことはできません。

美しく咲く菊の花が、「仏さまの温かいお慈悲のお心をお聞かせいただく」という大切なことを教えてくださっています。
この季節、各地で様々な御法座がお勤まりになります。共に仏さまのお心を聞かせていただき、お念仏に薫る生活をさせていただきたく思います。
                               釋智見