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仏法は聴聞にきわまることなりと云々

至りてかたきは石なり、至りてやはらかなるは水なり、水よく石を穿つ、
心源もし徹しなば菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」
といへる古き詞(ことば)あり。
いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、
信をうべきなり。
ただ仏法は聴聞にきはまることなりと[云々]。

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「きわめて堅いものは石である。きわめてやわらかいものは水である。
そのやわらかい水が堅い石に穴をあけるのである。心の奥底まで徹すれば、どうして仏のさとりを成就しないことがあろうか。」
という古い言葉がある。 信心を得ていないものであっても、真剣に聴聞すれば、仏のお慈悲によって、信心を得ることができるのである。 
ただ仏法は聴聞に尽きるのである。と蓮如上人は仰せになりました。