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目印  2006/11/12

暦のうえでは立冬を迎え、見事に色づいた街路樹や寂しげなお礼柿に冬の足音が少しずつ感じられるようになりました。

町の風景はお参りに翻弄する私にとって重要な役割を果たしてくれます。
例えば「あそこの大きな銀杏の木を西に入って・・・」
今頃は「クリスマスの飾りつけの立派なお宅を・・・?」
というように一つひとつが大きな目印になってくれているからです。

どのようなときでも、何か行動をする時は目標と目印が大切になります。
車で移動する時しかり、まずそこに辿り着くための目印を思い返します。
夜道を進む時でも、慎重に目印を探しそれを見る度に安心し、頷きながら目的地へ進むことが出来ます。

目標を持ちひとつひとつの道を確かめながら進む。
人生はよく旅にたとえられます。もしその旅で途中の目印に目もくれず進んで行ったなら、その進むべき方向というものは非常に怪しくなってきます。当然道に迷い大きな不安に襲われるのではないでしょうか。

私は仏教に触れさせていただき、お念仏のおいわれをお聞かせいただく中で、自分の人生にも同じことを感じました。
阿弥陀さまは、不確かであった私の人生の進むべき道をしっかりと示してくださいます。
そして私の足元をしっかりと照らし「一緒に歩んでいこう。さあこの道をともにまいろう。」
とおっしゃってくださいます。
途中、道に迷いかけても「大丈夫だよ。安心しなさい。」とどこまでも私と一緒に進んで下さり、無事に到着できるように様々な手立てをもって進むべき方向を示してくださいます。

阿弥陀様とともに歩ませていただく人生は、私の進む道に無限の意味をあたえて下さいます。
自分の進むべき道を知らされて、その道がしっかりと人生の目標につながって下さる。
大変ありがたく、心強いものです。                       
                        釋 廣樹